人の体には、どの部分をとっても、“顔”のような表情があるものだが、この表情において今もっとも重要なのが知的さ。今の女性たちがいちばん憧れている女優の脚には明確な知性がある。その皮膚の引きしまり感に一種の緊張感があり、それが知的な印象を与えるのだ。ただボーッと細く長い脚の中には、明らかに知性に欠けてる表情を見つけることが少なくない。しかし何も脂肪にに知性がなく、筋肉にだけ知性が宿るという話ではない。その証拠に筋肉隆々の男の体に、知性はあまり見うけられない。筋肉ではなく、やはり肉が作る皮膚感なのだ。皮膚から見える肉感と言ってもいい。太く短い脚の中にも、美しく見える脚とそう見えない脚があるのは、やっぱり皮膚と肉の違いなのだと思う。言葉で表現するのは難しいが、皮膚が生きているか死んでいるか。肉が躍動しているかナマけているか。またそこに張りめぐらされた神経が細かいか無神経か…みたいなこと。日本人がストッキングを脱いでナマ脚をさらしてからまだ十年もたっていないが、脚の皮膚もそのナマ脚にちゃんと順応できたかできないかの個人差が、に早くもハッキリと現われてきているのだろう。繰り返し言うが、人の体は、環境に対し見事に順応する。早く順応する人はそれだけ優れた人間、だからこそ細くても太くても今は知的な皮膚と肉をした脚が美しいのだ。そして、たまたま見た肉のこんもりした太く短めの脚は、明らかに人間的なセンスの良さを感じさせる皮膚と肉をもっていた。スポーツをやっているのかもしれない。鍛えているのかもしれない。でも、何にもやっていないのに精神がしゃんとしているから、肉が躍り、皮膚が語る、知的な太さが生まれたのかもしれない。細く長くても、そこに精神が宿っていないために、ただ細くするための体操をしただけに見える脚ではもうダメなのだ。太くてもいい。これからは知的な脚を作ってほしい。